4本めが

30年来の友人のОさんが久しぶりに我が家へ。気にかかることが起きると電話をしてくる彼女は、隣町で昨年はご主人を亡くされたあとそれでも元気に暮らしています。精一杯ご主人の介護をされたのでしょう、忙しさもあってか寂しさを感じずに元気そうで久しぶりのお喋りを楽しんでいきました。帰宅する彼女を送り出すために玄関を出た時、室外機の上で栽培しているアサガオの鉢をなんとなく目にしていると、小さな土の塊が音がしたように思ったほどに動いたのです。よく見るとアサガオの双葉が土を押しのけて伸びようとしていたのです。初めて目にした瞬間に驚きと感動を覚えたひと時でした。それ程大きくはない鉢にとうとう4本の芽が出てしまったので、もうすこししたらそれぞれを一鉢ずつに移植しなければと思っています。

 

ウクライナの情勢は相変わらずですが、世界中が一つの意見にまとまることは無理と思うものの、少しずつ譲り合うことがなぜできないのかと小さな世界で生きている身としては単純に考えてしまいます。どう考えてもプーチンの戦争と思うのは間違いなのでしょうか。自分のために命を落としていく国民、その死を目にすることなく豪華な執務室で我がために戦うことを求める彼をどのように理解すればよいのか。世界は知らない、わからない、理解できないことで溢れているのだと今更のように考えさせられる朝です。